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Author:こう
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ロウバイ


いささか前の写真になるけれど、
今年ロウバイが初めて花をつけてくれた。

豚に真珠。
猫に小判。
馬の耳に念仏。
似たような意味のことわざだが、では、
真珠、小判、念仏、その中で価値があるのは何か?

ごく一般的世間的には小判>真珠>念仏というところだろう。
何かを獲得して自分を大きくしてゆく、そういう視点から見れば
そういうことになるだろう。
けれど、おしまい、つまりいつかは死ぬというところから
振り返るようにして見たらどうか。
小判や真珠はあちらの世界には持っていけない。意味がない。
つまり視点を変えることによって、違うものが見える。
ひととの縁、近い人の死というのは、そういう違う視点に
気づかせてくれるきっかけになるのではないか。
今日、3月の末になくなったおじさんの法事があり、
そんな話が坊さんの法話のなかにあった。

法話でいいたいことは、それはそれとして分かる。
けれどそれとは別の視点もあるぞ、
そんなことを考えていた。

 真珠>小判・念仏

 人間がつくり出せないもの>人間がつくったもの

この「>」をつけることに意味をもたせるかどうかは
微妙な部分もあるが、少なくとも人間が作り出せない
ものがあるということを、日常的に、しかし日常に
埋没することなく意識に上せることには、少なからず
意味があるように思う。

ロウバイの花びら。
これもまた、身近で、人間が到底及ばないものが
あることを簡潔に教えてくれるもののひとつ。



未分類 | 2007/05/05(土) 23:45 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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