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こう

Author:こう
頭で考えるよりも
眼でみるよりも
身体の声を
きいてみたい

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ためしに
twitterとやらをはじめている。
ここをおとのうてくれる人などそうはいないに違いないが
そこなあなたもどうですか?
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未分類 | 2010/11/17(水) 14:48 | Trackback:(0) | Comments:(2)
へそ
           IMG_0002_convert_20100406003203.jpg
           
           人はすぐに慣れる
           どんなにいいものでも
           同じものを同じ形で同じように見せたのでは
           同じようには感激も感動もしない
           見せる側には
           常に
           最高のものを見せつづける必要がある
           
           たとえば
           お気に入りの仏像がある
           お気に入りの陶磁器なんかでもいい
           お気に入りの絵でもいい
           いつ行っても
           同じ姿でたたずんでいる
           それでももう一度
           さらにもう一度
           それでもまたもう一度
           見たいと思う
           その前にしばらく突っ立っていたいと思う
           
           そのことの重さを思う
           
           最高のものを見せられないとき
           嘘をつく
           嘘をつくと
           誇張され空虚になる
           本物はシンプルだ
           シンプルで無駄が無くて細くて強くて自由だ
           
           同じことを言っていると思う
           違う人が違う場所で
           同じことを言っていると思う
           
           言葉は嘘をつけるが
           身体は嘘をつけない
           動けたら達人だが
           動けずとも見てわかるなら
           それだけでも いい
           
           よく五感という言い方をする
           五感をフルに使うとか
           五感を研ぎ澄ましてとか

           五感なんて ない
           
           身体はひとつしかなくて
           ばらばらな感覚が五つあるわけではなくて
           ひとつの感覚のかたまりがある
           あるのはそれだけ
           
           澄ますのは耳だけではない
           全身でなんていうとそれもまた違う
           すなおに すなおに
           おだやかに ちからを抜いて
           身体の声を聞いてみよう
           いつかきっと
           声は歌になる


未分類 | 2010/04/06(火) 00:49 | Trackback:(0) | Comments:(1)
かたいひと
      トンネル
      
      かたいひと
      あたまがかたい というのではなく
      みもちがかたい というのではなく
      がんこだ というのではなく
      話せばひとあたりがよく
      こまかな配慮もあり
      人の気持ちを吸い寄せる魅力もある
      
      でも かたいひと
      トンネルに響く足音は孤独です
      かたさは孤独の表現のひとつかと言う気もします
      
      なにか腑に落ちないものをかかえながら
      それがなんなのかを考えていました
      
      すこし
      手がかかっている気もします
      指先かもしれません
      でも たぶん
      見ること
      そこにつながってくるような気がします
      
      見て対応するか
      見る必要も無く自分をたたせるのか
      
      かたさとうらおもてのやわらかさに
      自分はたどりつきたい
      素直に考えれば
      そうなります
      
      つながりをたどって
      感じている違和感を
      たぐりよせます
      それは反面苦しさと手をつないで
      スキップするようなものです
      
      でも そこにひとがいる
      しらなかったひとがいる
      気づき損ねていた世界のなかで
      気づき損ねていたことを
      そんなひとたちと話している
      そんなことのたのしさが
      ちょうどいい加減に焼けたステーキから
      しみでる肉汁のように
      からだの中にひろがっていきます
      
      そんな近頃の日々



未分類 | 2010/04/03(土) 23:36 | Trackback:(0) | Comments:(0)
たれるめくれるむける
      たれる
      
      ひとつがとなりを
      となりがそのとなりを
      
      おしのけて
      でもつながって
      はなれないで
      かたまって
      
      雪がふりやんで
      空気がゆるんで
      最初のひとつが
      さいごになったとき
      おそらくただ
      服をだらしなく脱ぐように
      おちるだけのその皮は
      そのしたの
      フロントガラスやボディーの
      冷たい感触を
      何の記憶だと思っておちてゆくのか
      
      皮を脱ぐことに意味があるのか
      脱いで何かを露にすることに意味があるのか
      それとも
      脱いだ皮に意味があるのか
      
      それとも
      
      わからないまま
      皮を脱いだ何物かの上に
      時間がすぐに皮をまとわせて
      またあしたには
      昇る太陽が照らす朝の雲に
      目をほそめている
      
      ただつづけろ
      ただつづけていろ
      尊いものがみえるようになるまで


未分類 | 2010/03/29(月) 23:36 | Trackback:(0) | Comments:(0)
アーモンド 読むように
      2010アーモンド
      
            アーなんというかこいつらを幸せにしてやりたいとおもいました
      
      そういうあなたは 嗚呼 問答無用にしっかりとそこにいます
      
            からだそのものにしか裏付けがない
      
      たしかに
      
            それぞれのからだはそれぞれの歴史を持っていて
            みんなそれぞれにちがう
            それはすごいことだと最近おもう
      
      いまさら のようなことになにかあらためて思いが至ることあります
      何に思い至るかは それも やはり みなそれぞれです
      共感できる思いか いまさら何言ってるのと思うかは
      それもまた うけとる側のそれぞれです
      半世紀近くを経てそんな いまさら をいうあなたが
      目の前にいる
      そのことがまず楽しいのです
      
            骨は負けてる
            心は対等
            筋肉と感情は勝ってる
      
      だからやっぱり
      からだという現実の底に共通したものを見ているだろうことが
      こんな言葉からも窺えるのです
      
      


      はなれろ
      はなれたい
      あたまという
      このやっかいなものから
      簡潔に
      あるものの声を
      あるがままに聞けたなら
      この世は歌に満ちている

未分類 | 2010/03/23(火) 23:56 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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